Tips インターネットの起源

インターネットへの関心は近年爆発的に増大しています。実はインターネットの原型は1960年代にあったのですが、インターネットが一般に受け入れるためには、当時はまだ、さまざまな要因が欠けていました。

初期のインターネット
インターネットは、長い間米国の軍事・学術研究者の間だけで用いられていたコンピューター・ネットワークでした。1960年代後半、米国の軍事関係者はシステムの一部が使用不能に陥っても機能するようなネットワークの必要性に迫られていました。
当時、ソ連 (現ロシア) との冷戦構造の中で、核攻撃によってコンピューターが消滅するという伝説すら生まれたのです。これは明らかに最悪の事態を想定したもので、正常に機能するシステムと同じくらいの割合で、コンピューターのシステムダウンが見られた当時においては実用的な意味もあったのです。
この時 The RAND Corporation の提唱した戦略が議会で支持を得たのが、中央の制御ポイントを持たず、ネットワークの一部が遮断されても障害を起こさないネットワークを構築しようというものです。個々の部分が遮断されても耐え得るパケット交換網をパウル・バラン (Paul Baran) が1962年に提唱して以来、同社ではこのアイデアを検討していました。このアイデアは、ネットワーク上のあるポイントから送られたメッセージが、遮断された部分を迂回しながら、自分で目的地へのルートを探すというものでした。
米国国防総省の ARPA(Advanced Research Projects Agency) がこのアイデアに賛同し、ARPANET と呼ばれるネットワークが作られました。インターネットの最初のメッセージは1969年9月に、カリフォルニア大学から、ARPANETに接続されたすべての地点に送られました。メッセージの内容は 「Are you receiving this?(このメッセージを受信していますか?)」 というもので、当時のインターネットを構成する4つのノード (ネットワークに接続されている端末やネットワーク機器のこと) すべてで、正常に受信されました。
研究者たちは即座に、電子メールやネット会議という ARPANET のもつ機能の利点を認識するようになりました。ARPANETでは情報を容易に他の研究者に即座に配布することができ、こうした情報が個々の研究分野での最新の進歩を反映していることも多かったのです。
自分の研究で問題に直面した研究者は、ARPANET上で答えを知っていそうな研究者に訊ねることができます。こうした研究者にとっての利点のため、このネットワークには次々に新しいノードが作られ、このことが、ひいてはネットワーク全体の安定性を向上させました。というのはノードがたくさんあれば、それだけメッセージが目的地に到達するために通ることのできる経路も多くなるからです。
1971年には、このネットワークのノード数は15に達し、その多くが全国の大学や企業、政府の研究所でした。1973年にはロンドンとノルウェーに最初の国外ノードができました。1970年代半ばには、基本的なパケット交換網を進歩させた TCP (Transmission Control Protocol) ができました。これが後に、現在のインターネットと Webのバックボーンとなった TCP/IP の基礎を作りました。
これ以降、1970年代末までの間に、ARPANETが大学院生やその他の研究者にもたらすメリットに気づいた大学や研究機関がオンラインで接続されるにつれ、Webが徐々に発展します。
1980年代
インターネットが今日の姿に発展したのは、主に1980年代です。1983年には ARPANET が2つに分裂し、ネットワーク上にあった純粋に軍事的ノードが分かれて MlLNET となりました。1984年には、インターネットと呼ばれるようになっていた ARPANETに、1000を超えるノードが接続ざれるようになりました。
同年、NSF (全米科学財団) は、高価なスーパーコンピュータ資源を国内各所に分散させる上で、インターネットの既存の設備基盤が最適であることを認識しました。これは、全米のあらゆる場所のスーパーコンピュータのアイドル時間に、研究者たちをアクセスさせようという考えです。
このことは、気象学、物理工学、理論物理学、コンピュータ科学といったさまざまな分野の研究者が、手近に使えるコンピュータ資源ではあつかいきれないような複雑な計算を行うことができるコンピュータを使えるようになるということでした。
このプランを実現するには高速のリンクが必要だったため、NSF は他の政府機関の援助を得て、56kbpsの高速バックポーンネットワークで接続された5つのスーパーコンピユータ・センタ一を1986年に米国内に構築しました。この NSFNET の誕生により、インターネットの最初の急成長が起こったのです。
大学院生にとってのメリットと、このスーパーコンピユータにアクセスできることのメリットを大学が認識するようになるにつれ、多くの大学がこぞって参加するようになりました。1987年末には、インターネットは10000を超えるノードを持つようになりました。
NSFNETの目的は学術研究機関間での研究と教育を支援することでしたので、NSFNETを利益活動のための使用を禁じ、個人事業のための使用を制限した、NSFAcceptable Use Policy が打ち出されました。NSFNETはインターネットの大部分にとって実質的なバックボーンとなっていたため、インターネット上での商業活動の成長は事実上ストップしました。
1980年代半ばには、学術関係者以外の人々も、E-Mailtelnet、さらに同じころに開発されていた Usenet の価値を認識するようになっていました。何年間かのうちに、小さな電子掲示板 (BBS) が北米のいたるところに登場しており、その多くは独自のネットワークで接続され、ローカルなネットワーク間でEメールのやりとりを行うものでした。こうした BBS の人気は、一般のコンピュータ利用者がインターネットに参加するようになるのも時間の問題であるということを物語っていました。
1985年、WELL(Whole Earth’Lectronic Link) のメンバーがインターネットに加入したことにより、学術界と一般のコンピュータ利用者との間の最初の大規模な橋渡しが行われました。翌年にはオハイオ川クリーブランドで最初のフリーネットが設立ざれ、コンピュータとモデムをもつ地元住民がインターネットに接続できるようになりました。
1980年代の終わりには、さらに6か国がインターネットに加入し、ノードの数も合計で10倍の100,000に増えました。これはかなり急速な成長でしたが、1990年代初頭の利用者の急増に比べればわずかなものでした。今日でも続いているインターネットの爆発的成長は、インターネットにハイパーテキストを導入した World Wide Web の登場によるところが大きいのです。


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